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素適なコラムでしたので、頂きました!。
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     ここ深大寺の朝は、昨日の強い南風が運んでくれた暖気が残って+8℃(5時半)とドット温ですが、皆様方の所は如何でしょうか?。お互い十二分に気を付けて、元気に「桜の花」を待ちましょう。待ちに待った「立野講座」が、4月4日お隣府中市の生涯学習センターで始まります。第一回のテーマは、「在原業平」さん。業平さんと言えば皆様方もご承知の「百人一首」、 ≪千早(ちはや)ぶる 神代(かみよ)もきかず 龍田川(たつたがは) からくれなゐに 水くくるとは≫。ですよネ。不思議で異常な愚老は、「落語」でも数寄で、いまでも「やれる」かも知れ魔先が?…。講座の開設に、「身を要なきものに思ひなして「伊勢物語」で知られる業平はいかにしてわが身を無用者となし、漂泊の旅に出たのでしょうか。」とありました。無用者でしかない不思議で異常な愚老も、「師」について「学ぶ」事で、「無用者の系譜」の一端でも知る事が出来れば、又新しい視点の愚老のブロ愚が生まれるかも?との期待で、小さな胸を大きく膨らませています。幻の天井桟敷から、「嘘つきーッ!、ウソは盗電の始りだゾ−。」「そうだ!ソウダ、お前の胸は大きいゾー。」「そだねー!、ナァーンもだ。」と。立野先生の御実家のある「遠野市」、イイのがありました。遠野のお話しが遠くの愛媛からです。愛媛新聞コラム4日付の「地軸」です。「『川には河童多く住めり』。」とノッケから「河童」で始まったコラムは、「柳田国男が民間伝承をつづった『遠野物語』の里、岩手県遠野市を訪ねた。迎えてくれたのはカッパおじさんとして知られる運萬治男(うんまんはるお)さん。」と「遠野物語」の登場で「カッパおじさん」を紹介してくれます。「いたずらっ子で素直なカッパの話や遠野の歴史を、訪れた人たちにユーモアたっぷりお国言葉で語る。『んだが、カッパは人間。原点はつらくて厳しい話だ』▲話は一昔前にさかのぼった。」と「カッパおじさん」の話です。「遠野の冬の寒さはこたえる。庶民は、いくら働いても貧しさから抜け出せない。飢饉にも度々見舞われ、子に食べさせるものがない。追い詰められて赤ん坊を川に返した。カッパの子として、神様のもとへ▲カッパは食べなくても万年生きて、子孫を守る神様になるとされてきた。」と「貧しさ」ゆえの哀しい物語の展開です。「『神様になれよ』。母は祈った。生きていくためには、そうするしかなかった。それでも、最期に重湯の一杯飲ませてもらえないかと望みをかけ、長者がコメを研ぐ川の淵へ返した。せめて僧侶の突く鐘の聞こえる所で眠らせてやりたいと、寺の近くを選んだ。」と母子の哀しき物語が続きます。「運萬さんの語りは、苦しみの中で懸命に生きた人々の思いを届けようとする、ぬくもりと強さに満ちていた。」と苦しみの中で懸命に生きた母の話は、「温もりの強さ」が無ければ、伝わらないのでしょうか?ネ。コラムは続いています。「『食べ物ほど大事なものはねえ。粗末にしていたら、いつかまたカッパさ増える。神様の住む川も、命の水も、大切にせねば』。」と「カッパおじさん」の話を伝えてくれます。「『民の話』は、子や孫の暮らしを少しでも良くしたいとの『先人の祈り』。」とコラム子は書き進んで、「この愛媛にもきっと埋もれているだろう祈りの声に、耳を澄ましたい。」、とコラム子の思いを地元愛媛に戻して、コラムを閉じています。そうですか?。「祈りの声」ですか?。「祈りの声」も、その「祈りの声」を聴く耳も、愛媛の「愛」が無ければ、「声も聴こえず」でしょうか?ネ。南相馬大学佐々木孝総長の兄上、十和田教会の佐々木博司祭様が7年前のあの日、「“優しさと祈り”は、やがて“愛”に昇華されるでしょう。」とお教え下さっています。「“人間”の、或いは“無用者”の原点は“愛”」なのでしょうか?ネ。そこで今日の一句です。

    人の世は愛こそ生命(いのち)尊けれ>哲子。竜田川で「からくれない」を詠んだ業平さんの心も“愛”だったのでは…。

    皆様方は、ドンナ一句をお詠みになられたのでしょうか?ネ。

     皆様方の「祈りと優しさ」で、この地球上に「貧困と戦争」の無い世界が一日も早く実現しますように、愚老も強く祈念しています。「五里霧」の向こうに見える「永遠の明日」を信じて…。デワデワ、でわ。又明日です。

    | テッツァマ | 05:45 | comments(2) | - |
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    澤井ゼミ長!
    遠野物語と河童の話とくれば、遠野人としてはなにか一言申さねばならないような気がしますね。遠野郷のいたるところを流れるたくさんの清流には、そのむかし河童がひんぴんと出没したと伝えられているのです。
    河童伝説の歴史的また現実的な背景を語る運萬治男さんは、遠野市から認可を受けている河童渕のれっきとした守り人で、いまや全国的に有名な人です。ときどき姿をお見かけしますし、わたしも数年前に河童渕のことを書いたときにお話を引用させてもらいました。
    渕とは言いながらそこは小さな川で、むかしは夕方農作業を終えた馬のからだを洗ったところ。ときどき河童が悪戯をして馬の尻尾にぶら下がったりするのでこらしめたら、あっさり謝ったばかりか、魚を届けてくれたりもするようになりました。
    そういう話なら子供たちも楽しんで耳を傾けられるのですが、飢饉の際のむごい現実が背後にあると運萬さんは語るのです。
    冷害、凶作、飢饉は自然の断固たる厳しさをものがたるわけですが、半面では封建政治の無策や苛酷さが被害を増大させたことも忘れてはならない事実です。東北に一揆が多かったことがその証拠です。

    ところで、ちがう話をお聞きいただきましょう。遠野の町外れに位置する小高い山のなかに一つの沢が流れております。そこに天から投げ落とされたかと見まがうような、ごろごろした自然石が大小いっぱいひしめいています。よく見ると、苔むした石のどの表面にも羅漢が線刻されているのです。その数500と言われるところから五百羅漢と呼ばれ、遠野でも一つの異観を呈しています。
    むかし、おりしも飢饉のころに峠を越えて釜石のほうからやって来た和尚があり、独力で彫ったと言われています。当時の厳格な禁令により、峠の向こうからの援助さえ受けられなかった遠野盆地の餓死者があまりにも多く、その惨状を目の当たり見て、和尚はせめてその霊をとむらい慰めようと一念発起しました。六十近い老骨にむち打ち、念仏を唱えながら、一体また一体と沢の石にノミを振るったと伝えられます。

    高校時代までわたしは河童渕とならんで、その五百羅漢を訪れることがたびたびありました。日が傾き、人気のない頃合いに、河童渕や五百羅漢の沢に佇むと、周囲の木立や林に風がわたり、木々がにわかにものを言い始めるような気がしたものです。気味が悪いようでもありましたが、同時に畏怖の念に駆られるような気もして、そのぞくぞくするような感じがたまりませんでした。
    郷土の歴史を詳しく知ったのはずっとあとの話ですから、当時はなにがなしその場の雰囲気に、怖いながらも魅せられるものを強烈に感じていたのでしょう。
    少年の心にはあったなにものかを畏怖する心が、いまのわたしにはだいぶ稀薄になっているかもしれません。
    わたしをふくめて世俗に馴れきった現代の人々の心に、なにものかを畏れるという謙虚さが失われるとき、天災と人災はあいかたらい、さながら悪鬼羅刹のごとく、冷酷無残な相貌をむき出しにして、容赦なく人間に襲いかかってくるのではないでしょうか。
    天災と人災は紙一重。
    遠野の河童渕と五百羅漢は、いまにそれを伝えるかすかなよすがでもあります。
    Posted by: Masahiro Tateno |at: 2018/03/06 9:06 AM
    立野先生!。
    今日もお見守り下さいました。ありがとうございます。
    「少年の心にはあったなにものかを畏怖する心が、いまのわたしにはだいぶ稀薄になっているかもしれません。」とありましたが、そうですね。毎日毎日時間に追いまくられて、大切な「なにものかを畏怖する心」は失いがちです。貪爺もキッチリ反省します。
    昨日のニュース写真でも、災害の9割が復旧していましたが、建物が立っていない空き地は8割にも達しているとか?。あるいは一等地は高騰して買えないとか?。貪爺の表現ですと、「土建屋政治の9割が完成した。」とでもなりますでしょうか?。
    先生のお書きになられた、「天災と人災は紙一重。」は、まさに「畏怖」すべき愚かな人族の習性でしょうか?。被災地の写真を眺めていましても、天災が押しのけられて人災ばかりが映っているように、不思議で異常な貪爺の「違い込み“老眼”」です。
    立野先生。ドウゾこれからも貪爺の「学び」をお導き下さい。お願い致します。
    Posted by: 澤井禮道 |at: 2018/03/06 12:53 PM








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