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「サッポロ雪祭り」が、始まっていました!。
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    第60回さっぽろ雪まつり(大通会場)

            【第60回目の札幌雪祭りの写真だそうですが、如何でSHOWか?ネ】

     ここ深大寺の朝は、晴れて−4℃とドッ寒ですが、超一級の「立春寒波」がマダマダ続くようです。皆様方の所は如何でしょうか?ネ。インフルもピークのようですが、お互い十二分に気を付けて、元気に極寒の季節を楽しみましょう。「降り積る雪と寒さ」を逆手にとって、サッポロ雪祭りが開かれたのは、もう69年も前になるのでSHOWか?ネ。「1955年には、自衛隊が参加し、大規模な雪像づくりに挑戦。第10回開催の1959年には雪像制作に2,500人が動員、はじめてテレビ、新聞でも紹介され、翌年からは本州からの観光客も増えて大盛況となりました。こうして、札幌の雪まつりから日本の雪まつりへと発展していきました。」と雪祭りのホーム頁にありましたが、雪祭りが始まった1950年には札幌市の人口は、約31万人、雪祭りが本格化した1955年でもまだ45万人程度、それから60年超で去年は188万人に増加しています。「一極集中」は北海道でも顕著になって、この邦の未来に「暗い影を投げかけている」とこの邦の「専プラス有」のご宣託ですが、現在の「五里霧」の中、その意見は「的を射てる」のでしょうか?ネ。「毎年200万人以上が訪れる雪と氷の祭典『第69回さっぽろ雪まつり』が5日、札幌市で開幕した。大通公園など市内3会場に雪像や氷像約203基が展示されている。期間は12日まで。市民が制作した小雪像80基は、日本ハムの清宮選手.将棋の藤井五段や加藤九段、『35億』で話題となったお笑い芸人ブルゾンちえみさんら、2017年を代表する顔ぶれがそろった。」等と伝えられています。今日は不思議で異常な愚老の「オレの雪祭り」計画の話をチョコッとお聴き頂きたいと想っています。雪祭りの時期サッポロは、200万人のお客様の熱気で雪も解け出し?ます。愚老なら、前夜祭で開会式と雪像を堪能して一泊、前夜祭の夜の宿泊は比較的取り易いのではないでしょうか?ネ。比較的に安い宿で泊まっても、前夜祭の雪祭りを見学し、それも写真にもありますように夕闇迫る会場をテレビ塔から眺めて、大雪像を観た後、有名ホテルのレストランで「ディナー・バイキング」を予約して置きます。次の日は電車で函館へ向かって、買い物・食事で楽しみましょう。函館駅前にも比較的安い大浴場付きのホテルがあり、この時期は予約も取り易いはずです。今年の日程的には、2月4日早朝羽田発、新千歳からは小樽行きに乗って、昼食は小樽のお寿司屋さんで、食べたら札幌へ移動してホテルにチェックイン、先述の雪像見物後は、ホテルのディナー・バイキング、男同士であれば夕食の後は「すすきの」へ繰り出します。次の5日は、電車で函館へ。夕食後は百万ドルの夜景を見に函館山へ。次の6日は早起きして「函館朝市」を楽しみ、昼からの便で帰京します。二泊三日の強行軍ですが、3日に出発出来る方は、小樽で一泊か?、札幌で連泊か?。後半に延長出来る方は、函館連泊は如何でしょうか?ネ。ここで十二分に気を付けて頂きたい事は、大浴場付きのホテルでも、風呂若しくは大浴場は、次の日の朝にして下さい。夜風呂に入りますと「冷えと寒さ」で風邪を引き込むことになっては、大切な冬の北海道旅行も台無しになってしまいます。不思議で異常な愚老のこの計画は、今年はもう無理ですので、来年の2月に新しい人生の頁を開ける可能性のあるお方?限定になっていますが、ドウゾ是非お試し下さい。故郷北海道の景気向上に役立つものになるで商家?ネ。そこで今日の一句です。<雪祭りみんなで行こう雪SHOWに>哲子。「雪SHOW」の「SHOW」を「商」「唱」「昇」と皆様方のご自由に変換して下さい。しかし、「雪SHOW」を「殺生」にだけは、変換しないで下さい。お願い致します。皆様方は、ドンナ一句をお詠みになられましたでしょうか?ネ。

     皆様方の祈りで、地球上から「貧困と戦争」の無い世界が、一日も早く実現しますように愚老も強く祈念しています。500年の向こうに見える明日を信じて…。又明日です。デワデワ、でわ。

    カテゴリ:- | 05:45 | comments(2) | - |
    コメント


    2018年2月6日

    澤井ゼミ長!

    札幌雪まつりと函館の夜景で二泊三日の小旅行ですか。宵っ張りのわたしには少々ハードスケジュールのようですが、三泊四日ぐらいの余裕を持たせた旅なら楽しそうです。
    じつは暮れに函館に数日出掛けてこようかと思案していたのですが、もう一つの候補地が能登半島でした。迷ったあげく後者を選択、三泊四日で輪島まで足を伸ばしました。十年前に亡くなった亡母が輪島漆器の愛好者で、工房の見学を兼ねて連れて行ってやりたいと思いながらとうとう果たせませんでした。まことに遅まきながらの代参というわけでした。

    能登には清張の『ゼロの焦点』の映画でクライマックスになった断崖がありますね。今回そこも見てきました。地震で断崖の先端部が崩落し、映画で見るのとは様相が変わっていますが、にもかかわらず冬の能登の海は、やはり引き込まれるような妖しさを湛えておりましたね。冷たい海風に煽られながらしばらく佇んでいました。

    いっぽう、函館には石川啄木本人と家族の墓所が設けられていると聞き及びます。郷里の岩手ではなく、どうして北海道についの住みかがあるのか、ながいあいだわたしは漠然とですが疑問に思っていました。
    流転または流寓の生涯を余儀なくされた夭逝の天才の運命に心を引かれ、昨年夏にようやく生まれ故郷である渋民を訪れる機会を得ましたが、今年は暖かくなったら函館にも出かけて墓を見てくるつもりです。
    それとも、この酷寒の時節にこそ出かけるのがこの薄幸の歌人への哀悼としてふさわしいでしょうか。

    さいはての駅に下り立ち雪あかり さびしき町に歩み入りにき

    明治41年、いまから110年前の1月下旬、小樽に妻子を残し、列車で釧路に到着した啄木が詠んだ歌ですね。しかしわたし個人の記憶では、この歌はむしろ函館と結びついておりました。
    親類のなかに二級上の男の子がいて、高校の修学旅行に札幌と函館に出かけたのですが、土産に買ってきてくれたのが上記の歌を刻んだ木製の壁掛けでした。したがって高校三年間、わたしは自室の壁に掲げたこの歌を眺めて暮らしたのです。
    当時啄木22歳。当然ながらまだまだ意気軒昂、青雲の志を捨ててはいませんでした。
    | masatateno | 2018/02/06 5:11 PM |
    立野先生!。
      
     何時も有り難うございます。
     たしか南相馬大学の「談話室」で、輪島のお話しをお聴きし
     たと記憶していましたが、工房の皆様方が、
     御母堂様の事を覚えてお出でになった、とありました。
     素晴らしいお話しでしたので、記憶も衰えつつあります貪爺
     ですが、心に残されていました。
     函館!いい街です。ドウゾ一度お出かけ下さい。たぶん季節
     を問わないとは思いますが、
     先生のお心には、やはり「巌冬」でしょうか?。
     今のところはご一緒出来ないのが残念ですが…。
     ドウゾこれからもよろしくお願い致します。
                          貪爺拝。
     
    | 澤井禮道 | 2018/02/06 6:22 PM |
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